堤未果著『日本が売られる』の第1章後半を読むと、農協・林業従事者・漁協・卸売市場といった日本独自のシステムの中に、零細事業者や農漁業従事者の暮らしを守り、消費者の食の安全を守るための知恵が凝縮されていること、そしてこの日本の伝統とも言ってよい財産が、今や新自由主義的な政策によって海外企業に売られ、破壊されようとしていることがコンパクトにまとめられており、そのことがよく伝わってくる。
例えば牛乳。これまで農協が酪農家から生乳を買い取りメーカーに渡す仕組みがあることで、酪農家の代わりに農協が交渉役となって酪農家がメーカーから買い叩かれないようになっていた(指定団体制度)。
また小規模林業従事者は「自伐型林業」という山を極力削らないやり方で長期スパンで管理していたが、これは山の生態系を維持し、豪雨などにも強い防災上の役割をも担っていた。
あるいは漁協は一部の漁業者が乱獲で水産資源を枯渇させたり魚の価格を低下させたりしないように、独自ルールで小規模漁業者や漁村を管理してきたが、これによって「日本の海を持続可能な共通資源として管理する役割を担ってきた」。
さらに卸売市場は仲卸業者が卸売業者から適正価格で農産物や海産物を買い取り小売業者に分荷・販売するという仕組みがあることで、農業や漁業に携わる小規模な生産者は買い叩かれることもなく安心して出荷でき、我々消費者にも安全で品質の良いものが届けられる。
ところが長い時間のあいだいに出来上がってきたこうした「公益」のシステムは、規制改革推進派によって壊され、解体され、外資に売られていく。
農協は解体に向かい零細酪農家は生き残れなくなって海外から健康リスクのある牛乳が入ってくるようになる。
また木材や海洋資源は単に大企業が儲けるための商品となって乱伐・乱獲されることになり、山の防災機能は失われ、自然の生態系も狂ってしまう。
世間を賑わせたあの築地市場移転問題も、本質は卸売市場そのものを解体し、仲卸業者を介さないで直接低コストで大企業が仕入れできるようにするための新自由主義的施策の流れのなかにあったわけで、卸売市場が解体されたり民営化されることで零細の農家や漁業者は生き残れず、我々消費者はスーパーで安全で良質な食品かどうか分からないものを買わされることになる。
ゆっくりと複雑に形成された先人の知恵が詰まったこれらの仕組みは、いったん壊されたら二度ともとには戻らないだろう。
「保守主義の父」とも言われる18世紀イギリスの政治家で政治思想家のエドマンド・バークは家族、共同体、教会等の「中間組織」によって「自由」や「財産」が守られると考えたが、まさにこうした農協や漁協、林業従事者、卸売市場といった既存の日本の中間組織こそが零細農家や漁業者の生活や財産を守り、我々消費者の食の安全を守ってきたわけである。
そう考えると「新自由主義」なるものはどう考えても我々の自由や財産を守るための思想・政策とはいえず、むしそグローバル企業の金儲けだけを促進させ、我々の暮らしから選択肢を奪って不自由にするものでしかない「自由剥奪主義」でしかないし、それを推し進めている政治家や官僚、彼らを支援する似非知識人やマスコミ、ネットウヨといった連中は保守主義とは程遠いところにいる売国奴でしかないと言えよう。