ネットウヨなどという右翼でも保守でもない、ただ″安倍さんがやることは全部正しい″と言っているようなむしろ″ネットアベ″とでもいった方がよい信者や、そんな彼らのカリスマアイドルの百田尚樹氏などの御用似非保守とは一線を画す保守の若手論客・適菜収氏が安倍政権の政策を適格かつ激烈に批判している。
2014年1月の世界経済フォーラム年次会議(ダボス会議)では、徹底的に日本の権益を破壊すると宣言。電力市場の完全自由化、医療の産業化、コメの減反の廃止、法人税率の引き下げ、雇用市場の改革、外国人労働者の受け入れ、会社法の改正などを並べ立て、「そのとき社会はあたかもリセット・ボタンを押したようになって、日本の景色は一変するでしょう」と言い放った。
この“ファミコン脳”の言葉通り、戦後わが国が積み上げてきたものは、わずか6年で完全にリセットされた。左翼も麻原彰晃も、安倍の足下にも及ばなかった。
引用元:ハーバービジネスオンライン 水道事業、種子法、北方領土……。安倍政権が進めた政策から見えてきたもの
「すでにメッキの皮は剥がれているが、安倍晋三は保守ではなくて、構造改革論者のグローバリストである」と適菜氏が指摘するように、安倍政権がやっていることは小泉・竹中路線が敷いたいわゆる新自由主義的な政策の更なる徹底化である。
だから思想的には急進的な改革や権力の強大化に疑いの目を向ける保守主義や、国家権力と伝統的秩序の結びつきを信奉する反動的な右翼思想とは本来相容れないはずなのだ。
しかしそこに日本会議的な奇形の右翼ナショナリズムの衣装がかけられているため、ネットウヨの皆さんは安倍政権を「保守」や「右翼」と誤解して信仰することになる。
つまり簡単に言えば、安倍政権=新自由主義+カルトであって、断じて「保守」でも「右翼」でもない。
共産主義や社会主義政権下での一党独裁と計画経済、福祉国家における社会保障費の増大など国家運営と自由主義市場経済の非効率化を批判するハイエクらの思想をベースとして登場したこの政策路線は、周知のように80年代から90年代にアメリカやイギリス、中国や日本など、世界中で持て囃され、いわゆる非効率部門の民営化を後押ししてきた。
しかしその行きつく先は、予定されている「効率性」や「自由」といった調和とは程遠い少数のグローバル企業の市場独占と格差の拡大をもたらし、″ショック・ドクトリン″と称される自然災害後の強引な政策導入手法とともに、今日では世界中で批判の対象となっている。
この構造改革路線のやり方は非常に粗野で、″規制″の細部に宿っている先人の知恵や合理性といったものを敢えて無視し、ただただ規制緩和と言う名の伝統的合理性の破壊、国有企業の民営化=海外グローバル企業への資産の売却を推し進めているだけであることは、堤未果『日本が売られる』にも詳述されている通りである。
適菜氏によると、そんな売国政策に邁進する安倍政権が支えられ存続し続けるのは無知で愚鈍な思考停止の大衆が支持しているからだという。
一つは現実を見たくない人が多いからだろう。「日本を破壊したい」という悪意をもって安倍政権を支持している人間はごく一部であり、ほとんどは無知で愚鈍だから支持している。左翼が誤解しているように安倍を支持しているのは右翼でも「保守」でもない。そもそも右翼が4割もいるわけがない。安倍を支持しているのは思考停止した大衆である。
そして「悪意」を持たないのは安倍首相自身も同じ。
大事なことは、安倍にすら悪意がないことだ。安倍には記憶力もモラルもない。善悪の区別がつかない人間に悪意は発生しない。歴史を知らないから戦前に回帰しようもない。恥を知らない。言っていることは支離滅裂だが、整合性がないことは気にならない。中心は空っぽ。そこが安倍の最大の強さだろう。たこ八郎のノーガード戦法みたいなものだ。そして、中身がない人間は担がれやすい。
この″悪意のない思考停止の大衆″というのはハンナ・アーレントの言う「凡庸な悪」にも通じているようにも思うが、それはともかく上から下まで「悪意」のない「思考停止した大衆」が世の中に溢れかえり、彼らが支配的になった時代というのは、もう後戻りするのが難しい大きな流れになんとなく乗っかって、そのまま全体主義が完成しつつある時代になりつつあるということなのだろう。
結果として少数の批判者たちの意見は脇に追いやられ、多数派の彼ら大衆自身も自分で自分の首を絞めてしまうような状況を招き寄せてしまいつつあるのが今の日本の現状だ。
そんな全体主義の主要プレーヤーである下流の大衆の一部分=ネットウヨは、日々の不満を解消させるため、あらかじめ用意されたテンプレートで条件反射的な安倍批判者への批判をSNSやネットを通じて拡散し、TVは本当は少数派にすぎないそんな言説を過大評価して一般の国民をもネットウヨへと変貌させてしまう。
空気を醸成するためのテンプレートはあらかじめ用意される。「安倍さん以外に誰がいるのか」「野党よりはマシ」「批判するなら対案を示せ」「上から目線だ」。ネトウヨがこれに飛びつき拡散させる。ちなみにネトウヨは「右翼」ではない。単に日々の生活の不満を解消するために、あらかじめ用意された「敵」を叩くことで充足している情報弱者にすぎない。
誰がそんなネットウヨの不満を解消するための「敵」を用意するのか。
官邸の中の誰か、安倍政権を陰で操るアメリカか、新自由主義的な政策から目を逸らさせようとするグローバルリストetc、・・・それは私にはわからないが、問題はそんな不満の解消装置が簡単に蔓延してしまう社会の土壌にあるのかもしれない。
適菜氏によれば、そんな「安倍政権が引き起こした一連の惨状」は、「日本特有の政治の脆弱性の問題」と「近代大衆社会が必然的に行き着く崩壊への過程」との両方として捉えられるという。
日本はすでに滅びているのだ。これから日本人は、不道徳な政権を放置してきたツケを払うことになるだろう。安倍政権が引き起こした一連の惨状を、日本特有の政治の脆弱性の問題と捉えるか、近代大衆社会が必然的に行き着く崩壊への過程と捉えるかは重要だが、私が見る限りその両方だと思う。前者は戦前戦中戦後を貫く日本人の「改革幻想」や選挙制度についての議論で説明できるし、後者は国際社会が近代の建前を放棄し、露骨な生存競争に突入したことで理解できる。
近代が打ち立て守ろうとしてきた原則。それは議会制民主主義であり、立憲主義であり、自由と平等が守られる国民国家の実現であったはずだ。
しかし21世紀の日本ではそんな原理原則を理解しない思考停止の指導者と大衆によっていつの間にか民主主義は衆愚政治に堕し、立憲主義は無視され独裁政治へと接近し、自由は息苦しく呼吸し、貧困と格差が拡大し続ける社会となってしまった。
彼ら上下の大衆は、悪意もなく思考停止のまま強欲なグローバル資本主義と共犯関係を築きながら先人が守ってきた資産や秩序を解体し手放しし続けるという結果をもたらしつつある。
最後に適菜氏は安倍外交の失敗にも触れ、「結局、負けたのはわれわれ日本人である」「日本はすでに滅びているのだ。これから日本人は、不道徳な政権を放置してきたツケを払うことになるだろう」と警告とも諦念ともとれる書き方で締めくくっている。
安倍政権の本質とこの6年間でもたらされた日本の惨状を、適菜氏はこの短い論評の中で的確に抉り出しているように思う。
彼の書いた著作の中には『安倍でも分かる政治思想入門』『安倍でもわかる保守思想入門』(笑)なる挑発的なタイトルのものもあり、興味を惹かれる。
いずれ読んだら当ブログでも取り上げてみよう。