ベーシックインカム

山本太郎のベーシックインカム論と新自由主義者への警戒感

ブログ再開後はこのことばかり書いているが、ベーシックインカム(BI)が世界的規模で段々とキーワードになってきているようだ。

以前の記事でも触れたように、現在イギリスやスペイン、アメリカ、ドイツなど、コロナ禍で混迷する経済状況の中、世界中でBIが議論の的となってきている。

そして先日はついにこんなニュースが流れた。

国連は、新型コロナウイルスの感染拡大が続く発展途上国のうち132か国で、貧困層などの生活を維持するため、最低限必要な現金を給付するベーシックインカムを一定期間、導入することを提案しました。

これはUNDP=国連開発計画が23日発表した報告書で明らかにしました。

報告書ではまず、発展途上国では新型コロナウイルスの感染が拡大する中でも、多くの人が在宅では収入を得られず、仕事をするために外出していると説明しています。

そのうえで、発展途上国のうち132か国で貧困ラインの前後に位置する27億8000万人を対象に、生活を維持するために最低限必要な現金を給付するベーシックインカムを一定期間、導入することを提案しています。

「一定期間」と限定付きながらも、国連が貧困層の生活維持を目的として世界各国にBIを呼び掛けているわけだ。

日本ではれいわ新選組が公式サイトで政策として「デフレ脱却給付」として一人あたり月3万円の給付を掲げており、既にれいわの設立前の動画の中でも月3万円を6年間給付した場合のシミュレーションを紹介している。

れいわ新選組の公式サイトでも、山本太郎自身も「ベーシックインカム」という言葉を使っておらず、インフレ率2%達成までという限定付きだが、条件なしで国民全員に一定額を配るわけだから、事実上ベーシックインカムと言っていいだろう。

では何故山本太郎は「ベーシックインカム」という言葉を使わなかったのか?

その答えがおそらくこちらの動画にある。

この動画では実ははっきりと「ベーシックインカム」という言葉を用いており、「生きているっというだけでもらえる3万円」を量的金融緩和を使った財政出動で可能だと述べている。

しかし同時に「恒常的なベーシックインカム」についてはこんな警戒感を述べている。

社会保障制度を全てベーシックインカム一つにするっていうことですね。この給付によって全て社会保障を与えるってことにすると、毎月何万円与えるけれども他の社会保障はカットだという話になると、これは逆に言うと社会保障の縮小につながるということですね。

となるとやはり不都合が出てくる。例えば障碍者の方だったりとか、いろんな方々に対して、受けられるものが限定されてしまうというか。逆に言ったらこれ以上国は面倒を見ないということの線引きにも使われかねないので、本格的なベーシックインカムと言う部分に関しては議論が必要であると。

私は、社会保障は削らないという前提でその上でベーシックインカムということをどう考えられるかということを考えられたらいいのになと思ってます。一本化するのは非常に危険。よりコストカットが進む恐れがあるというのがベーシックインカムにも危険性としてあると思います。

つまり山本太郎はBIには基本賛成だけど、それは既存の社会保障制度と併存する形、あるいは上乗せという形での導入であって、社会保障も含めたBIへの一本化、社会保障のコストカットという議論につながることを警戒しているわけだ。

おそらく彼の念頭にある警戒の対象となっているのは、竹中平蔵氏らのBI賛成論だろう。

福岡での街頭演説で一般男性からBIについて聞かれた山本太郎はこう答えている。

ベーシックインカムとは、雑な言い方をすると、生きているということだけが条件でお金を国を配るという考え方だ。赤ちゃんからお年寄りまで、寝たきりであったとしてもお金が配られる。当初はベーシックインカムというものを検討する必要があると考えていた。しかしそこからいろいろ知っていくなかで、ベーシックインカムのなかにはみんなに与えるサービスを現金を渡すだけで終わりにするという考え方にも繋がる可能性があると知った。国が人人に対して最大限の投資をし、産業や雇用を守らなければならないという「大きな政府」という考え方の人間だけではなく、竹中平蔵さんのような極力受けられるサービスは削っていくというような「小さな政府」を目指す人たちにもベーシックインカムという考え方を持っている。

https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/13933

さすが山本太郎だ。

前回記事でも紹介した竹中平蔵氏ら新自由主義者の「悪いベーシックインカム」(=「「小さな政府」を目指す人たちにもベーシックインカム」)の危険性に気付き、ここでも警戒感を示している。

https://twitter.com/m_a_y_u_m_a_y_u/status/1285958691829633024?s=20

このインタビュー記事で竹中氏はミルトン・フリードマンの「負の所得税」に言及し、「BIを導入することで、生活保護が不要となり、年金も要らなくなる」と述べている。

生活保護や年金、社会保障の削減を念頭に置く新自由主義者のBI論については山本太郎でなくでも十分な警戒が必要だろう。

そういえば先日国民民主党のこの人もBI導入を唱えていた。

ユニークな経済政策がいくつも語られているが、この中で玉木氏はBIについてはこう述べている。

他の社会保障制度や減税政策を整理統合したうえで、給付と税還付を組み合わせたベーシック・インカム制度を創設し、 尊厳ある生活保障を可能とすべきだ。高齢に伴う不安、失業による不安、子育ての不安、様々な不安が高まる社会で、すべての国民が、人生のあらゆるライフステージの中で、不安なく暮らせるよう再分配機能を強化していかなくてはならない。

玉木氏の頭の中を覗いたわけではないので、意図するところは明確ではないが、この人も社会保障制度の「整理統合」に触れているので危険性があるかもしれない。

「すべての国民が、人生のあらゆるライフステージの中で、不安なく暮らせるよう再分配機能を強化」が国民の豊かな生活の保障を意味し、それに伴うだけの十分な額のBI給付につながるのであれば、それも含めて議論していくべきかもしれない。

ただ無くなった制度が復活することは難しいわけで、そこは山本太郎も指摘したように、一元化や社会保障カットという形での議論には十分慎重であるべきだろう。

そうではなく、既存の社会保障や生活保護、年金といったセーフティネットと併存できることを前提にBIの議論をすることが、デフレと消費増税、コロナ禍で苦しむ日本社会に今必要なことではないかと思う。

そういう意味ではやはり私は山本太郎的なBI論の方向性に賛成だ。

 

 

 

 

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