科学技術 読書

日本は取り残される!?『2030年』の描く未来予測の衝撃!

国産のスーパーコンピュータ「富岳」が2020年の6月、11月に引き続き、2021年6月にも「世界1位」を獲得したということで、ニュースで取り上げられていたのを見聞きした人も多いだろう。

最近では新型コロナウイルスの飛沫シミュレーションにも使用されたりして、ニュースでもよく取り上げられている。

そんなことよりオリンピックをすぐ中止して、水際対策やPCR検査の徹底、治療薬の承認、医療リソース強化と従事者の確保、継続的な給付や保障をやれとでも言いたくなるが、・・・それは兎も角スーパーコンピュータは現在実際に使用可能なコンピュータの中では最上位に位置するコンピュータだし、アメリカや中国でも数千億円をかけて現在も開発中という中で、日本のスパコンが今現在世界最高レベルというのは確かに誇っていいいことかもしれない。

しかし“日本凄い”とばかりに富岳の“世界一”のようなことばかりに目を奪われていると、海外での科学技術の発展とそれが今後数年でもたらすかもしれない様々な分野での急速な社会の変容に取り残されるかもしれない。

そしてそんなテクノロジーの進歩がもたらす近未来での世界の驚異的な変容を網羅的に紹介しているのが、現在日本でも11万部を突破しているこのピーター・ディアマンディス&スティーブン・コトラー『2030年 すべてが「加速」する世界に備えよ』(『2030年』)だ。

著者のピーター・ディアマンディスとスティーブン・コトラーはいずれも起業家で、特にディアマンディスは複数のテクノロジー関連の起業を行い、レイ・カーツワイルと共同でシンギュラリティ大学を設立したことでも知られている。

私は科学関連の未来予測本が大好きで、これまでもレイ・カーツワイル『ポストヒューマン誕生』や、ミチオ・カク『2100年の科学ライフ』『フューチャー・オブ・マインド』などで、超一級の頭脳による未来予測に衝撃を受け、楽しませてもらってきた。

そしてこの『2030』年もそうした未来予測本に負けず劣らず衝撃的というだけでなく、現在進行形の延長線上にある未来を論じているだけに、説得力のある内容となっている。

この本のキーワードとなっているのは「コンバージェンス(融合)」という概念だ。

「エクスポネンシャル・テクノロジー」(指数関数的に加速して発展していくテクノロジー)とされるAI、量子コンピュータ、ナノテクノロジーなどの最先端の科学技術どうしがコンバージェンスすることでさらに加速化して発展し、世の中の仕組みや人々のライフスタイル自体を劇的に変えてしまうような更なる新しい技術変革の大きな波が人々が思っているよりも速く次々に起こってくるということを、この本では具体的かつ豊富な事例で示している。

第1部ではエクスポネンシャル・テクノロジーの最新動向と今後2030年までに起こり得る予測として、空飛ぶ自動車のライドシェア計画、真空のチューブ内を旅客機のようなスピードで駆け抜ける新たな交通手段「ハイパーループ」、量子コンピューティング、AI、5Gや宇宙衛星を利用した通信ネットワーク、センサー、ロボット、仮想現実(VR)、拡張現実(AR)、3Dプリンティング、ブロックチェーン、材料科学とナノテクノロジー、バイオテクノロジー、ゲノム編集技術、パーソナライズ化された医療などが紹介され、いずれもコンピューティング能力の増大、コンバージェンス、その他「七つの推進力」で今後も加速していく環境にあることが語られている。

第2部ではこうした技術の加速化が社会全体にどういう影響を及ぼしていくかが考察され、買い物の未来、広告の未来、エンターテイメントの未来、教育の未来、医療の未来、寿命延長の未来、保険・金融・不動産の未来、食料の未来、が語られる。

そして第3部では今後100年スパンでの予測として、水危機、生物多様性の喪失、異常気象、気候変動、環境汚染といったリスクに対し、テクノロジーがどのように克服していけるかが論じられた上で、さらに今後起こることとして「移住」を取り上げ、気候変動による移住、都市への人の移住、バーチャル世界への移住、宇宙への移住、ブレイン・コンピュータ・インターフェースによる集合意識化等が予測されている。

第1部、第2部で2030年にまで実現しうることととして語られていることの多くはSFや夢物語ではなく、どれも豊富な資金源をもとに実現に向かっている技術とそのインパクトであり、近い将来世界中の人々が実際に利用できる環境としてアクセスできるようになるであろうものばかりだ。

第3部もさすがに脳をネットワークでつないで集合意識・・・みたいな話になると眩暈さえ覚えるわけだが、こうしたことも既に理論だけの段階から抜け出て初期の実験段階にあるようなので、将来的には起こりうることかもしれない。

ではこうした技術の進展がもたらす未来の先に何が待っているのか?

この本では、著者が哲学者ではなく起業家ということもあって当然なのかもしれないが、こうした未来がもたらすライフスタイルの変化の意味、意識、価値観、人間関係、倫理といったものの変容についてはあまり論じられておらず、かなり楽観的であるように思う。

また本書では政府の「デジタル化」ということに触れて、エストニアの例を挙げつつ公共サービスのオンライン化による選挙や納税の効率化、ブロックチェーン導入による医療情報の管理の事例を挙げてコストの削減という点から簡単に触れているが、科学技術の進歩と政治というものがどう関係していくか、政治権力ですら変容させてしまうものなのか、あるいは変わらないままなのか、民主主義をどういう方向に導いていくのか、そうしたことについては触れられていない。

個人的にはライフスタイルや社会の変容という部分だけでなく、政治権力がテクノロジーをどう利用するのか、それにより政治権力は強化されるのか、あるいは今後権力は力を削がれ民主主義を強化、成熟させていく方向につながるのか、そういった技術と政治といった観点からの考察もいくらかでもあればより興味深いものになったのかもしれない。

一つ言えるのは、2030年までとそれ以降の加速度的な技術の進歩と社会の変容がそれほど楽観できるものではなく、今ある問題とは別の問題をもたらすとしても、哲学者やSF作家はこうした未来に危機感を訴えることはできるが、その流れを止めることはできないということだ。

今後はこうしたことが未来の劇的な変容が起こるものだと認識し、その上でどのようにテクノロジーやそれがもたらす社会や政治の変容と向き合っていくのかが重要になるだろう。

それにしても日本では特にテレビでもネットでも、まだまだこうした先端の科学技術に関する情報は少ないように思う。

本書の解説で京都大学特任准教授の山本康正氏が「日本のメディアが取り上げない分野こそが重要だ」と述べているが、最近は富岳のような先端科学技術の事例でも“日本凄い”につながる文脈でばかり取り上げているものが目立つ。

しかし日本人がこうした報道にさらされて気分を良くしている間に、世界はスーパーコンピューター以上に量子コンピューターの開発に傾注していくだろうし、日本がいつまでもリニアモーターカーにこだわって開発を滞らせている間に世界中にハイパーループが巡らされ、さらには空飛ぶ自動車のライドシェアも当たり前になっていくかもしれないし、昨今の日本の凋落ぶりを見ると、もしかして日本だけが置いてけぼりになるのではないかという一抹の不安(その良し悪しは別として)すら覚えてしまう。

しかし遅かれ早かれ、直近で破局噴火や日本沈没のようなことでも起きない限り、いずれは日本の社会もこうした先端テクノロジーの影響の下、劇的な変容を遂げてくことは間違いないだろう。

メディアが伝えてくれないなら、科学技術マニアや起業家、経営者だけではなく日本人一人一人が、今のうちから最新科学技術の動向を自分で探り、これまで想像もつかなかったような近未来に対しどのように備えていくのか、考えていく必要があるだろう。

そういう意味で本書は、今現在での絶好の見取り図かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

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