かつてカレル・ヴァン・ウォルフレンはベストセラーとなった『日本/権力構造の謎』の中で、電通について「現実管理機関」と呼んだことがあった。
これはマスメディアから自民党まで顧客に抱え、国民の「現実」に与えるその絶大な影響力の大きさを表現したものだろう。
電通はテレビや新聞、雑誌、ラジオなどで圧倒的な収益力と影響力を誇り、オリンピックを始めとする各種スポーツイベントなど、多くの国際イベントにも関わっている。
スポンサーに都合の悪いことは報道させないようメディアに圧力をかけられるし、あるいは本書で取り上げられている事例のように、メディア側の方が電通に忖度をすることも少なくないようだ。
さらには長年自民党の選挙公報を請け負ってきたほか、近年ではSNSでの政権批判封じに手を貸したりするなどネット対策も請け負っていたり、まさに日本の「現実」は電通によって作られていると言っても過言ではないだろう。
昨年2020年12月期の有価証券報告書によると、電通グループの売上高は約4兆5千億円(国際会計基準・連結)に上っており、世界最大規模の広告代理店である。
本書『電通巨大利権: 東京五輪で搾取される国民』では、そんな一広告代理店がここまで巨大で独占的かつ影響力を持つことが海外では見られない日本特有の現象であり、多くの構造的問題を抱えていることが指摘された上で、近年電通が起こしたいくつかの事件や不祥事についても詳細に論じられている。
例えば既存メディアの忖度の問題、パワハラと過労により女性社員が自死した問題、架空請求の問題、記事の買い取り問題、東京オリンピックにおける無償ボランティアの問題などだ。
その上で、今や電通は「第四の権力」であるメディアを凌駕する「第五の権力」であるにも関わらず、本質的には「ひたすら自己の栄達と利益確保を煽り、目標の達成のみを最大価値」としているため自浄作用も欠如しているとして、ついにはその「解体」(メディア関連部門と営業部門、スポーツ事業の独立)が訴えられるに至っている。
何で電通があれほど巨大で力を持つようになったのかを考える時に、私が本書を読んでいて特になるほどと思ったのが、第1章で取り上げられている「日本の広告業界の特殊性」という部分。
海外では企業機密保持などの点から広告業界では一業種一社制となっているのに対し、日本では電通でも博報堂でも一社で同業種を複数社抱え込んでいる。海外ならトヨタと日産のCMは別広告会社が請け負うが、日本では一広告会社が請け負っても問題ないわけだ。
また、海外ではメディア購入・マーケティング・CM制作・セールスプロモーションなどはやはり秘密保持と寡占抑制のために全て独立しているが、日本では電通や博報堂の傘下にあり、欧米では一つの仕事ごとに各専門会社がチームを組むのに対し、日本ではそれらが全て一企業への委託で一気通貫の利便性が優先される。
更に日本の広告代理店にはスポンサーの為に広告枠を購入する機能とメディアに広告枠を売る機能が同居しているため、大手メディアの主要な販売枠は大手広告代理店に買い占められてしまい、新規参入も含めた広告枠の自由な売り買いができなくなっている。
要するに電通などの日本の大手広告代理店は、海外の広告代理店では考えられないぐらい複数の業種と業務を抱え込み、主要な広告枠をあらかじめ買い占めてそれを販売できるようになっているために、あれだけ巨大かつ独占的な企業となって、各種メディアやスポンサーにも巨大な影響力を及ぼすことができるわけだ。
日本の広告業界に対しては公正取引委員会により、独占禁止法の疑いがあるとして調査報告書が公表されたりもしているが、こうした電通の支配力、影響力が弱められるには至っていない。
しかしながら本書が書かれたのが2017年ということで、ウォルフレンらが電通の問題を指摘した90年代前半(勿論それ以前にも電通問題は論じられていた)と比較すると、昨今では本書でも論じられているようにパワハラ過労死問題を契機として電通批判がSNSで盛り上がったり、電通と経産省とのずぶずぶの関係が暴露され大手メディアで報じられたり、あるいは本間氏の一連の著作でそのメディアへの過剰な影響力や利益第一主義が批判されたりして、そのブランド力には衰えが生じてきている。
さらに今夏の東京オリンピックは本間氏の表現を借りれば「電通の、電通による、電通のためのオリンピック」であったが、コロナ禍なのに東京オリンピックが強行されたのは電通の利益のためではないかと勘繰る人も多くいたし、その点からのイメージ悪化はさらに進んだように思う。
もはや電通批判も当たり前になってきた感もあるし、電通もかつての陰の支配者的な地位にはいられなくなってきているのではないだろうか。
しかしそれでもネットやSNSでの野党批判の隆盛や、直近では自民党の総裁選が電波ジャックされる現実を見るにつけ、依然として電通による「現実管理」の力は衰えていないように思われる。
その「現実管理」の影響力の一例として、本書の中では憲法改正のための国民投票が行われることになれば、今のままでは資金力のある改憲派(自民党)が電通と結びついているだけに国会発議後の早い段階から広告宣伝作業を開始でき、有力な広告枠を優先的に使用できるなど、改憲派のために有利に作用すると指摘している。
政党が税金を使って広告代理店を活用すること自体の是非もあるだろうが、それ以上に資金の上限がなく政党が電通などの大手広告代理店に資金を投入できることで、自民党と野党との間での政治宣伝力の格差がもたらされ、そのことが現実の与党と野党の支持率の格差や政策実現の有無にも影響を与えるとしたらアンフェアだし、それは民主主義自体にとっても健全な環境とは言えないだろう。
だからこそ広告代理店に対しては寡占防止に加え、健全な民主主義を守るためにも何らかの法的規制が必要になるはずだ。
勿論電通などの巨大広告代理店の「現実管理」への影響力は、狭い意味での政治に限られていない。
原発に悪いイメージを持たせないようメディアを操作してきた歴史(『原発広告』)からも明らかなように、巨大広告代理店は、これまでスポンサーの商品やサービスに絡むリスクや暗部を報道させなくして本当の「現実」を見えなくしてきた。
それは消費者(生活者)に対する「知らされる権利」の侵害であるし、様々な弊害を生みだしかねない影響力だ。
日本の民主主義を守るためにも、巨大広告代理店が生み出す偽の「現実」による弊害を減らしていくためにも、政治家(特に野党)にはこの電通を始めとする巨大広告代理店の問題にもっと向き合って欲しいし、議論を盛り上げていくべき時ではないだろうか。
著者である本間龍氏の著作はこれまで『電通と原発報道』、『原発広告』などに目を通してきたが、実際に大手広告代理店で長年営業に携わってきた経歴があるだけに、業界に対しての勇気ある内部告発的な記述には迫力があり、説得力がある。
電通の問題、日本のメディアの問題に関心ある人には勿論、現代日本の問題点を探ってみたい全ての人にお勧めしたい本である。